そまらば日誌

『身近に感じる伝統工芸』を目指して、絞り染めでものづくり!

わたしとうぞうむぞう。

 

f:id:somaraba:20170314210214j:plain

↑タグを新しくしたくて画策中。

 

 

「なんだかとってもブンガクテキなタイトルじゃないか!」

 

 

 

・・いいえ、何も考えちゃあいませぬ。

 

タイワーンから帰ってきましたみとでございます。ご機嫌いかが?

 

実はも~帰ってきて1週間、って感じなのですが、アレですね、中身がほぼなくてスッキリしすぎた冷蔵庫を満たしたりバッテリー上がっちゃった車をなおしてもらったりwifiのネット環境の更新手続きをしたり漬け物・ストックを作ったりおそらく初物のたけのこを茹でたりしていたら1週間なんてアッー!という間ですよね。

 

よくわかんないけど、なんか動かないと食えない(食料がない)状態だと人間動かざるを得ねえんだよ!

 

 

・・しかし今日で少しそれも落ち着いた。

そしてネットにも帰ってきた、というわけです。

 

---

 

 

さて、話は突然少し昔に遡る。

 

年末というにはちょっとだけ早いあのころ母がバッタリ逝った。

 

自分は「親はいつかは亡くなるもんだ」といった淡白な考え方をするほーだと思っていたけど、母の死は『辛い』と一言で言ってしまうと簡単すぎる、思っていた以上のものでした。

 

父が10歳くらい一気に歳をとったような顔になりながら人が死んでからのアレコレに追われ、母が生きてたときにすでに計画していた旅行、アレどうする?、これで行かなかったらたぶん気が乗らなくなってもうずっと行けなくなってしまう、だから行こう!、・・でも治療準備中の歯が・・・。心配だしやっぱやめよっかな☆、ってなんかあったらすぐトンボ返りしたらええやん!行くで!!!

 

 

・・・そして。

 

 

 

台湾は、優しかった。

 

ありがとう、台湾。またすぐ行きタイワン。

 

 

~完~

 

 

なんだかんだあったけど、玄関に桃とカーネーションの花を活けて春を待つくらいの日常に戻ってきました。

 

「亡くなった人はそれぞれの人の心の中にずっと生きています」とはいうけれど、『お母さんは春になっても夏になっても家に帰ってこないんだなぁ・・・』と考える。

 

お盆にゃふんわりかろやかな身で帰ってくるのだろうか。

 

あれから死を調べたり考えたりする日々だったんだけど、まだわからない。