そまらば日誌

『身近に感じる伝統工芸』を目指して、絞り染めでものづくり!

顔の見えない他者と交流する場だった

 

そう、『だった』なんだよね~~、過去形だ。

 

むかしむかし、インターネットは今は当たり前にある動画もなければ画像は・・がんばって圧縮したjpgとかgifとかのお世辞にも画質よろしくない品々が並ぶような場所だったそうな。

HTMLを無料で提供してくれているサイトからコピペして自前のホームページを作り上げて検索サイトに登録して、訪問者がこないかな~ってやっていた。

 

あの日のインターネットは間違いなく文字が表現の主流だった。

 

っていうかそうとしかできなかった。まあ、多少画像をはさむことはできたけど1つの画像の容量制限は今よりずっと厳しかった。

そう、楽天ブログとかやってたなー!

検索したら今でもサービスが存在していることにビビる。形式もあんま変わってないやん。

 

 

学校から帰って、友達の家の和室で2人で座ってwindows98が入ったパソコンと向き合った。

2人が好きなMIDIサイトにはお絵かきBBSがあって、自分より年上の人たちもいるような場所で一生懸命マウスとかペンタブとかで絵を描いた。お世辞にも上手いとは言い難い品だったと思うけど、見た人が感想をつけてくれてうれしかった。

 

インターネットで交流する大体の人は好意的で、そりゃたまに荒らしと呼ばれる迷惑行為をする輩もいたにはいたけれど、インターネットの中で起こったことが現実まで及んで即大事になるようなことは少なかったように思う。

 

今みたいに顔出しをする文化はなく、個人情報は極力出さないのが当時の暗黙のルールだった。

だからインターネットで出会う人々は最初、みんな顔の見えない他者だった。

頼りになるのは文字情報が大半を占めていたけれど、文字だけでも十分喜怒哀楽をかきたてられるような交流ができていた。wwwwwwwってめっちゃ芝生やしたりねw

 

今ではネット婚活もあるくらいだけど、インターネットを通して恋愛もした。

実際に会ったりするようになったのは20も越えてからではあるけど、上手くいったりいかなかったりした。そこで初めて文字情報だけじゃわからないこともあるんだって思った。

 

思えば私はずいぶん恥ずかしがりで内弁慶な性格だった。

だから顔の見えない他者と気軽に交流できるインターネットは自分の居場所だった。

また、そういった人が主にインターネットに興じている時代だったからこそ細かな秩序が決められていなくても一つの世界として成り立っていたように思う。

 

年齢階層別のインターネット利用率をさぐる(2020年公開版)(不破雷蔵) - 個人 - Yahoo!ニュース

 

こちらのサイトを参考にさせていただくと、およそ2000年ごろのことだ。

 

話は唐突に変わるが、最近かのリヴリーアイランド がスマホアプリで帰ってきた。

これも先述の友達とよく遊んだ。きのう当時をなつかしみながら懐古厨となって遊びほうけた。時が経つのが早い。こんなに夢中になったの久しぶりっていうくらい、やっぱり好きなんだろうね。ダブったアイテムを交換できるシステムが良い。

 

たぶんゲームがどうこうとかいう問題よりも、顔の見えない他者と交流するのが好きだ。そこには自分が傷つく暴言や中傷や行動もあっただろうけど、顔の見えない相手を想像することと絵文字もスタンプもない、文字だけで工夫して交流する楽しさがあった。

 

こんなに思い出しながらこのような文章を打つ日がくるとは思わなかった。

でも書いておきたいと思ったのは、なんだか最近のインターネットはギスギスしているように思ったから。まあ、しょうがないよね。先のグラフを見ると利用者は年々増加していて高齢者と言われる人までスマホを持つ時代だ。ギスギスっていうかギュウギュウなんじゃない?

 

多くの人がインターネットを利用していて、子どもからお父さんお母さんさらにはおじいちゃんおばあちゃんまで使っているような時代がきてしまったんだ。

だから問題も起こる。

チェーンメールとかコンピュータウィルスとか諸々ネットの悪意にさらされていると「これ詐欺(嘘)じゃね?」と気づきやすいけれど、かの事情により最近外も気楽に歩けずネットをよく見るようになった世代のほうが危ない気がする。

文字は正直好きな人じゃないと読まないと思うけれど、今は動画もあるから情報が伝わる速度は早く、さらに顔出しをしている人は信頼を得やすい。

昔わたしたちが経験したことをもっと上の世代はより悪質な形で影響を受けているのかもしれない。

 

昨今、インターネットの悪いところばかりピックアップされているようでかなしい。

昔はよかったなんて言いたくないし、いや~逆に昔のほうがもっと無秩序だったといえば無秩序だったのかもしれない。よくも悪くも顔の見えない他者にはそれぞれ個性があって、それは今も変わらない。変わらないと信じたい。

 

私はインターネットの悪意に揉まれて、インターネットの善意に生かされ救われてきたように思う。

学校帰りドキドキしながら立ち上げたパソコンの画面。2000年代の田舎に住んでるだけでは手に入らなかったであろう情報の群れ。

 

改めて始まったリヴリーアイランドで、無意識にあの時とまた同じピグミーを選んだ30代に突入した私も本当は当時とあまり変わっていないのかもしれない。

 

 

 

 

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」