そまらば日誌

『身近に感じる伝統工芸』を目指して、絞り染めでものづくり!

他人の中で生きる

 

レイワは平和な時代になってほしい。

 

平成はたしかに世の中が平らに成った部分もあるのかもしれないけれど、なんだかそれがゆえに生きづらく感じる部分もあったような気がする。

私は昭和を知らないんだけど激動の時代だったとすれば、まぁ、よくも悪くも一旦落ち着きましょうよって感じなのが平成だったのかもしれない。

もしかして、時代が激しく動くのとちょっと休憩、ってな具合で順番にきてるなら令和は世の中が前に向かって進んでいく頃合いだったりするのだろうか?まぁ、平成がぬぼーっと進んでいたわけじゃあないだろうけど。

 

10年後のことすらわからない世の中である。

今を生きることに必死で先のことなんて想像すらしていないかもしれない。

2009年のころ私はまだ大学生であり、そのころはドローンも一部の人は知ってたかもしれないけれど今ほどメジャーではなく、まぁまず花火大会で「ドローンを飛ばして撮影するのはやめてください」ってアナウンスはなかったと思う。たぶん。

今ほどスマホは普及しておらず、今やそこらへん歩いてるおじさんおばさんお子さまだって知ってる米津玄師はニコニコ動画初音ミクに曲をつくり歌わせていた。

彼は10年後の今を想像して歩いてきたのだろうか。おそろしい。

東日本大震災も起こってないから今ほど防災意識も高くないだろう。

 

2029年、どうなっているんだろう。

パソコンはスマホタブレットにとってかわり、その次はやっぱりスマートスピーカーが今よりもっとメジャーな存在になっているのだろうか。

なんでも声で操作できる。なんなら話し相手だってしてくれる。

もはや結婚する意味なくないか?

でも、どうなんだろうね。

人間の都合のいいようにふるまってくれてもそれがかえってかなしいと思ったりするのかな。

 

趣味だの嗜好だのを通じて価値観の合う人と出会うのはネットの醍醐味である。

自分の身近に気が合う人がいるとも限らない世の中だ。

誰しもどうせいっしょにいるなら居心地のいい相手と一緒にいたい。

違う価値観だと気は合わないし何かと喧嘩になるし面倒なことだらけだ。

 

障害はできるだけ避けて通りたいと躍起だったかつての私は、今はだいぶ擦り切れてまぁ多少違ってもなんとかなるわ。と開き直っている。

結婚相手とだって気が合うと思って結婚したけど喧嘩はするし何度も実家に帰りたくなった。実際帰った。

理想の他人などいないのだ。

 

大正、昭和、平成、令和とそれぞれの世代がひしめく世。

違う時代を生きていれば当たり前のように価値観も違うけど、みんな同じにならなくてもお互いに理解がある世にしていきたい。