そまらば日誌

『身近に感じる伝統工芸』を目指して、絞り染めでものづくり!

書を捨てよ、街へ出よう。

 

ほんとは『町』だけど、今となっては『街』のがしっくりくるようなきがするよ、寺山修二。

 

そうは言っても、相変わらず読みかけのまま本は遠くへいってしまったよ。

 

 

こんばんは、なんかへんな時間にブログを書きはじめちゃったみとでございます。

 

 

本日は朝からばたばたして、おこもりさんの私にしては珍し~く、お昼ごろから春物の服を買いに出かけておりました。

服1つ買うにしても、デザインが気に入り、値段を確認し、縫製をチェックし、・・・と、誰に頼まれたわけでもなく入念に確認したのち「よし」となって買うもんだから、な~かなかポンポンとは買えない。

祖母につきあってもらったけど、最後のほうはソファがあるところで待っててもらっておりました。

 

たくさんの服を目の当たりにしておきながら、不思議なことに、あれもこれもとはならないのね。

 

もっと小さかったころ、アパレルだのファッションだのという言葉がもっと遠いところにあったときは何も知らないから適当にポンポン買えてた気さえする。

いまは、『これとあれを合わせるならこっちの色のがよさそう・・・』と着回しを考えたりだとか、『この色は見た目キレイだけど汚れやすそうだなぁ』とかが先立って、なかなかストレートな気持ちでモノを買えていないのだ。

かなしいかな、この頭でっかちっぷりよ。でもこれが経験というものの成果なのかもしれない。

 

だけど毎回ではないにしろ、人生のあるいっときには、気持ちいいくらい猪突猛進するように後先考えないで突っ走るような買い物があってもいいのかもしれない。

 

なかなかそうはできない私は妄想する。

 

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『モノの買い方には個性があるのかもしれない・・・』と意味深げに話始めそうになるわけだが、もっとどうしようもない話をする。

 

普段、作業するときにおしゃれなどとは程遠い恰好をするもんだから、祖母が「もっとおしゃれしいや~」という。余計なお世話ですと返す孫の私。

なぜなら、さぎょ~してると汚れることのが多いから素敵な服なんて着てらんねぇ。作家やアーティストと称する世の人々が素敵なお洋服を身にまとって人前に出るのはプロモーションの一環であって、あれが毎日なわけではない。と思う。

 

んだが、ごーるでんうぃーくがあるから外に出ることもあるだろう、ってなこって、ちょっとはおべべが欲しいと思ったので買いにいったのであった。

 

帰ってからの祖母いわく、「おばちゃん(母の姉)もみとちゃんはおしゃれせんのやな~~言よったで」とのことだそうだが、余計なお世話でs

天界の母まで「そらそうやわ、あんた~~」とか言ってそう。「己の姿を見て言えよ」と鋭い一撃を私に喰らわすのだ。というか、生前言われてた気がするので私が地味な恰好なのは今に始まったことではないのだ。

 

とまあ、わたしは自分が着飾ることにはあまり興味が持てないのだ。

 

トールというファッションのなかの1つのアイテムを作ってはいるから、ファッション誌をめくって情報を取り込むことはしていたけど、実際のものをみたほうが得るものは多い。百聞は一見にしかず。己で体験せよ。

 

いまこそ書を捨てよ、街へ出よう。

 

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