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そまらば日誌

『身近に感じる伝統工芸』を目指して、絞り染めでものづくり!

人生のジェットコースター!

 

母が死んだ。

 

こう書くとなんと衝撃的なひと言になってしまうのだろう、と思いながらも、まわりくどく言うのもアレじゃん?って結論を叩きだした。

そして本来、いわゆるお商売☆ブログでこんなことを書くのもいかがなものだろうってのもあるだろーし、むしろ逝きおった母が「あんた、そんなことブログに書いてなに考えとんの?!」と抗議してきそうなんだけど、書きます。っていうか書いた。えへ☆

 

だって私が表現方法はさまざまにしろ、この歳になってもものづくりを続けているのは母のおかげです。

 

ものづくりはたのしい。ほんとうにたのしい。

だけどそれは苦しみを伴う楽しみだ。「上手くいったァ!!」っていう瞬間よりぶっちゃけ自分でもなんかしらケチをつけたくなることのほうが多い。かんがえる。なやむ。やり直す。なやむ。手を動かす。なんとか形になる。

今でも思い出すのは、高校時代、いいアイデアが浮かばず壁に頭をぶつけてうなったこと。

ひょっとして苦しいことのほうが多い?

 

だけどそれでも、ものづくりを続けた根本には、私が小さいとき、母に作ったものを褒められなかったことだと思っている。

普通さ、幼稚園で「これつくってきたよ~~!」ってわが子が言ってグチャグチャだけど一生懸命作ったんだなぁ!って物体見せられたら大人は「わぁ~~!!すごい!○○ちゃん上手!」とかって流れ!あるでしょ?ないんです。なかったんです。

 

歳を取ってそのことを抗議したら「だってヘタなものを上手いとは言えんでしょ」とストレートに返されたわけですが、高校~大学卒して2年間絞り染めを勉強しているころには作品を見て「これええやん」と言ってくれることがちょくちょくあった。うれしかった。

 

母が亡くなって、その後私は人に褒められることもあった。

作品でないにしてもおかずを作ったりだとか。でも嬉しい反面、私がほんとに褒められたかった相手は母だったんだとそのとき初めて気づいた。

にんじんを目の前にぶら下げられた馬のように、母に褒めてほしくて走り続けた。

 

「母に褒められた存在であったならば、自己肯定できて私はもっと成長できたかもしれない」と、うらみがましく言ったこともあったね。

だけど、母が甘やかすことなく厳しく育てたことで今の私があります。そして『そまらば』も。

厳しさは優しさだったんだね。それにずっと気付けないでいたのです。

 

 

「死んだら無っ!!」

と、母は言った。

 

 たしかひいおばあちゃんが死んだときに年若い私が「死んだら人はドコへいくんだろう?」とかきいたときに。

母が死んだとき、「でも本当にそうかな?」と1か月考えたよ。google先生からも宗教ちっくなのから哲学ちっくなことまでアレコレ情報を見て、自分の中で『そうでもないかもしれない』という結論に至ったよ。

 

たしかに無は無かもしれないけど、まったくの無もねーや。

 

だからそう、こんなときはこう言いましょう。

いつか、またどこかで会いましょう。

 

またね。

 

 

 

・・余談だけどさぁ、ここはやっぱ物質の世界だと思うからさー、モノつくって表現するのがイチバンよね、なんてまあもうクリスマス間近で出遅れた感ハンパないんだけど、布屋に頼んだウールガーゼが超☆特急で届いたりなんかしちゃって「はよつくれやオメェ!!!!!」と誰かに言われているようで、せっせと制作します。ハイ。

ありがとう。